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ごあいさつ

踊りが好きなのに、うまくいかない人のための教室を開こう。そうして20年余り経ちました。

なぜそう思ったかといいますと、わたしがその一人なのです。好きなのですが、まずからだがかたい、友達と同じレッスンを受けても、一人ついていけず友達からも向いていないんじゃあないと言われ、それでもがんばってやっていると、お決まりコースの故障。医者にいくと、レントゲンを見せられて君の背骨はダンスに向いていない、と言い渡されました。(べつにプロのダンサーになろうなんて思っていませんよ、でも好きなの、上手くなりたいの、こんなに努力して、先生の言っているとおりにしてるのになんで、上手くならないの、外野うるさい、好きでやってるのよ、才能なくてわるかったわね、よけいなお世話ほっといて)

それから上手い人と上手くいかない人(私)の研究を始めることにしました。体育大学で運動生理学を学び、運動力学整体学ストレッチ、ヨガ、バレエ、ジャズ、コンテンポラリー、ヒップホップ、とにかく全て体験して自分の身体で試してみました。そうしているうちに身体が痛まない基本ができているスクールとして、お墨付きをいただけるようになりました。

最近では年をとっても、病気をしても、若々しく過ごせる身体づくりのお手伝いをしたいと健康教室のクラスも各地でひらかれています。心優しい人間味あふれた講師が育っていって、ありがたいことだと感謝しております。

現在3歳から70歳までのメンバーと、健康のために踊る、みんなで踊る、いい仲間と踊る、そしてお客さんが見に来てもよかったと言われる作品をつくるために、踊りと演劇と合わせた作品を作り続けてまいりました。

それが公演活動となり私たちのオリジナルになりました。人間として成長しながら踊ることを、これからも続けていきたいと思っております。

スタジオ踊劇舎 代表 伊藤 佳子
  講師紹介  
       
 

ニューヨーク留学。大阪体育大学卒業。ジャネットジャクソンの振付師などの指導を受け、自ら構成・振付・脚本を書き、公演活動を行う。優秀な講師陣は、24時間TV・NHK花博・御堂筋パレードに出演。基本のしっかりした生徒を育て、各大学・宝塚・ミュージカル界に送りだしている。

 

大手前女子大学卒業後、Yダンスグループ(現スタジオ踊劇舎)入団、伊藤佳子に師事。江崎グリコにて健康教室のアシスタントを経て各企業のイベントに参加。御堂筋パレード・骨髄バンクキャンペーン等出演。劇団大阪のワークショップや奈良バサラ祭りの振付け構成の指導。踊劇舎の全ての公演に出演する傍ら年令に合わせた柔軟な指導力で人気を呼んでいる。

 
         
 

1982年、中京女子大学体育学部体育学科卒業。創作ダンス部所属。井本鈴子バレエ学校入社後、クラッシックバレエ・ジャズダンス・学校体育関係担当。1986年Yジャズダンス(現スタジオ踊劇舎)の伊藤佳子に師事。1991年大阪体育大学非常勤講師、ダンス・ジャズダンスを担当。1992年「三国志」から公演出演。

 

関西学院大学法学部卒業後、Yジャズダンス(現スタジオ踊劇舎)の伊藤佳子に師事し、ストレッチ体操の指導を行う。1996年より各地で高齢者体操の指導を行う。1992年「三国志」から公演出演。

 
         
 

1980年、奈良県立郡山高等学校卒業。経理事務に従事していたが踊劇舍公演に感銘を受けOLをしながらバレエ、ジャズ、モダンを学び、講師資格を取得し指導を始める。怪我で再起不能と宣告されたがダンスに対する熱意は変わらず、自分の身体で試しながら研究指導にあたる。日常生活に感謝し一人でも多くの方に踊りを楽しんで頂ける事を目標に講師を続けている。

 

幼少よりジャズダンス・クラシックバレエを習い始めスタジオ踊劇舎にて伊藤佳子に師事。2004年 大阪芸術大学 舞踊コース卒業 同大学院、芸術制作研究科修了。今岡頌子・加藤きよ子に師事。現在、大阪芸術大学 非常勤講師を務め、大学以外では若手ダンサー達の舞踊指導をし自らもモダンダンス・コンテンポラリーダンスと独自の表現を考究し、ダンサー・振付家として国内外と様々な舞台・コンクールに参加している。

 
         
 

1997年よりスタジオ踊劇舎に所属、代表伊藤佳子に師事。9歳からジャズダンスを始める。ドラキュラ、アルファ、信長、三国志、阿修羅、新撰組の公演に出演。2007年奈良県立高田高等学校卒業、2011年同志社女子大学現代社会学部現代こども学科卒業。小学校教諭一種免許状取得。なんでもこなし明るく楽しくをモットーに指導、クラス運営を行っている。

 

帝塚山大学教養学部卒業。33才の時に伊藤佳子と出逢い1991年三国志から出演、講師を勤める。2008年乳癌が発覚。手術後3ヶ月から体を動かし始め2010年4月新撰組で復帰。副作用が運動により軽減される効果を体験。現在は仲間と楽しい時間を過ごせることに感謝し闘病中の方に「自分がして頂いたように、少しでもお役に立ちたい」と健康教室をたちあげる。

 
         
【今年のお話】

今年は『人は何の為に生まれてきたの』という質問の答の一つとしてお話をさせて頂きました。

小さい頃私は母にその質問をしました。母は当然、今更なに言っているの。そんなのこれに決まっているじゃないのというような感じで、当たり前のようにはっきり言いました。『人間は人のお役に立つ為に生まれてくるんじゃないの。』
あまりに簡単に、あっけらかんと言われてしまいましたので、私も『あ、そうか』と簡単に納得してしまいました。自然にすーと頭に入ってきた感じです。そしてこう言いました。

『だからあなたでも何が出来るか探しなさい。でも私の子供だから、人より何が出来るという才能もないだろうから、とにかく学校にいって手に職をつけるために、努力しなさい。無理な努力は私の子供だからできないだろうから、自分で出来る範囲の努力を最大限しなさい。とにかく何が起こっても一人で行きて行ける職業を持ちなさい。それが、大きな自信になるからね。それと好きな趣味をもちなさい。趣味は人生を楽しくしてくれる大切な宝物のようなもの。私は戦時中だったので、学校に行かせてもらえなかったので、手に職を持つことができなかった。好きな音楽の授業だけは受けたかった。そうすれば、今行っているママさんコーラスの楽譜を読むのがもう少し楽なんだろうと今になって思います。あなた達はそれができるのだから、幸せだね。』という話を何度も何度も聞かされ育ちました。

実際、私は3人姉妹なのですが、5歳から娘3人とも有無をいわさずピアノ教室にいかされました。父親にピアノを習わす許しを得る為に、母がやけに強く子供の英才教育について父に説得しているのを覚えています。でもこれは母が歌を歌うときに、娘に伴奏してもらうのが夢だったようで、彼女の可愛らしい夢のために私達はあの時代で珍しくピアノを習わせてもらっていたのです。
それとは知らず、父は母の説得に完敗したようです。私達は母に言われるまま、音楽が好きかどうかも解らないままピアノを習っていました。親に与えられたものを辞めたいとかそういう選択権は、子供の時期はなかったような気がします。でも無理矢理というものもなかったと思います。母がうまく誘導していたのでしょう。

母は本も好きで、寝るときに読んでくれました。ただ、幼稚園においてある絵本のたぐいではなく、シートン動物記等の、のらねこキティー、ヒグマノワープといった漢字の多い長編ものでした。お話が長いので、途中で終わって、また今度という具合です。(実際は、彼女が疲れたら本日の分はおしまいです。)待ちきれなくて、文字を覚えて自分で読むようになりました。

お陰でみんな、音楽や芸術、本が大好きです。それが今の表現活動の基礎にはなっているのですが、少し笑っちゃいますよね。

今年の発表会も彼女は全部観てくれました。そして、『生徒さんは全てあなたの子供だから、あなたの責任、大切にしなさい。』といって帰りました。

彼女の娘である事に、心より感謝しています。

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